2014年12月1日月曜日

言語の身体性

ジョナサン・アイブのコメント

アップル社のデザイン最高責任者であるジョナサン・アイブ氏が気になることを語っています。
students were being taught to use computer programs to make renderings that could "make a dreadful design look really palatable"

僕はこれを読んで、直感的ではあるのですが、デザイン教育?が脇道に逸れてきているように感じました。

特に、以下の部分に刺激されます。

"make a dreadful design look really palatable"
(酷いデザインをさも好ましく見せる)

企業経営者側の欲求に押されて、デザイン教育に関わる人たちの一部では本道が見えなくなっているのかもしれないですね。


言語の身体性

「言語の身体性」が、個人的にずっと気になっています。

このブログでは、言葉がとても重要なテーマになっているんだけど、どうも言葉の一つ一つ、あるいは、その言葉を発する人、そして、それが言葉でなく立ち振る舞いや身振り・表情であっても、「言語の身体性」というものがあって、これまでの試行錯誤に一つの道筋を示してくれるように思うのです。

例えば、身体を通じて言語を獲得できても、言語を通じて身体や身体感覚を得ることはむずかしい。造形には様々な身体性が不可欠です。自分の手に比べて大きいのか、小さいのか、といったことに始まって、僕たちが物事を判断するときに、その時点までに持ち合わせ経験が身体に染み付いているように思います。

その立場からすれば、デザインは、現実空間のなかに身体性を持ったモノを生み出す行為です。そして、ここでいう身体とは〈誰の〉身体でもなく、自らの身体を無意識のうちに基準にしています。そして、そこがとても重要なのです。自分の身体に隣接する(した)モノを基準にしているのです。


「わかりやすさ」の性質

例えば、プロダクトやサービスをデザインするのであれば、理想的にはゼロックスする・ググる…くらいの身体性を目指したいですよね。ここまで来れるならば、〈それ〉は、多くの人たちのなかで言語化されたと言ってもいいかもしれないでしょう。

では、どうやってそれを実現すればいいのか?

一言で言えば、「わかりやすさを科学的に解明すること」だと思います。

情報デザインにおいて例えるならば、解釈を一意に誘導するようなインフォグラフィックのテクニックを乱用するのではなく、その一方で、人と長く付き合うことで相手の人柄が対話的に見えてくるように、情報の深層に向かっていけるようなデザイン(例えば、パーソナル・コンピュータの進化にデスクトップ・メタファー)が欠かせないと思います。

適切なデザインをする上では、「解釈を一意に誘導することを避けること」と「直感的に操作できるようにすること」とを使い分ける必要があるはずです。

そのためには、認知科学的なアプローチを踏まえて、デザイン手法として確立することを目指しつつも、要所要所において、モデル化にとどまらずインスタンス化できるようにしなくてはなりません。

デザイナーには、これまで以上に認知科学的な探求が必要だと思います。


量産(マスプロ)と個産(ワンオフ)

マイクロソフト社は、Windows(窓)という名称を与えたけれど、窓枠のまわりには、すべての人にとって共通するデスクトップ・メタファーしか作れませんでした。

最近、話題になっている3Dプリンターは画期的ではあるけれど、量産を志向するデザイナー向きではなく、ワンオフ(一個しか作らない)の造形作家向きです。

Windowsと3Dプリンターのようなものを念頭におくと、僕には、次のような妄想が見えてきます。
窓枠の中を覗き込むことで、その利用者だけに好適化された造形物、あるいは、情報が得られる…
仮に、これを実現できれば、僕にとって目指すべき情報デザインのあるべき姿が具現化できるように思います。


共時態と通時態

もっとも、ここには注意が必要です。

目的の窓枠にたどりつくには、ゼロックスやグーグルといった誰にでも受け容れられるような身体の汎用性(言語学的に言えば、共時態)が欠かせません。

しかし、情報のわかりやすさは、自分に好適化した身体の固有性(言語学的に言えば、通時態)から切り離すことはできません。

僕たちが情報を得るとき、同じ時代の人たちがそれをどのように考えているか?と気にするようなことはしません。仮に、そのような周囲の考えに気をやるとしても、それが自分にとってどのようなものであるかを判断した後に行うこと、であるはずです。つまり、自分のこれまでの経験を踏まえた意味で、自分の身体性に合致しない情報を受け入れることは難しいし、それをやろうとしても、背伸びをして普段使わないような言葉を使うようなものだと思います。


デザインの本道

「デザインをさも好ましく見せる」ことができても、実際に使った人にとって「酷いデザイン」という評価を受けるのであれば、それは「餅絵」として揶揄されることになります。一過性の売り上げに貢献できるかもしれませんが、顧客との間に信頼関係を築くようなことを目指すものではなく、それは脇道に逸れているとしか言いようがありません。

アイブ氏がコメントしたことの背景には、「インタラクションのようなものによって返される本質的な品質が伴っていないデザインは餅絵である」と、競合企業の商品を揶揄するものにも受け取れます。でも、個人的には、「身体性に馴染むようなわかりやすさをデザインしていることに繋がっているのか?」と問いかけられているように思うのです。

仮に、後者であるならば、僕は、「言語の身体性」を意識してデザインすることこそが、その問いかけに対する答えではないかと思います。

なぜなら、提案する製品やサービスを通して、そのような身体性を顧客との間、あるいは、顧客と顧客の間に共有できれば、遠く隔たった場所にいても、「言語の身体性」を通して、より円滑なコミュニケーションが可能になると思うのです。そして、そこにデザイナーの果たすべき役割があると思います。

1 件のコメント:

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