2013年9月11日水曜日

数学者の言葉


数学者たちのやり取り

数学者の人たちのTwitter上でのやり取りを眺めていると、言葉が便利でありながら、どれだけ不都合なものかと思わずにはいられない。

僕たちは、数学者が表わそうとしているのは数式と思いがちである。確かに、その考えは表面的には間違いではないのだけれど、同じ数式をいろんなところに書こうとしている訳ではない。少なくとも、研究という立場から数学に取り組んでいる、彼らがやろうとしていることは、これまでの世界には無かった新しい言葉を作ろうとしている、と考えた方が分かりやすい。

つまり、数学者は、新しい文字、新しい単語、新しい表現、新しい解釈、新しい言語そのものを作ろうとしている(少なくとも、僕はそう思う)。

彼らの書き綴った数式は、僕たちがなにかについて言葉で説明するように、ある事柄を説明している。そして、ここで興味深いことに、数学者というのは、既に知られている数学の知識を自分だけの言葉、つまり、数式に置き換えて説明しようとする。彼らは、誰かに教えられたことや本に書かれていたことを丸暗記しようとはせず、いちいち、「要するに、こういうことだよな」と自分に言い聞かせるように、自分の言葉をつかって定義をするのだ。


自分の言葉で定義をはじめる

数学者のなかには、そうやって自分が理解した内容と少しでも異なった表現をする人には、激しい批判をする人もいる。数学にそれほどの思い入れがない人からすれば、ドン引きしそうなくらいに激しいこともあるらしい。

でも、考えてみれば、そうやって激しくやり合うほどの徹底的に考え抜かれた数式だからこそ、「あ、間違ってました…」というようなことなしに、どんなに熾烈な状況においても安心して使える数式になりうる。

そのように考えてみると、僕たちが普段つかっている言葉は、「あ、間違ってました…」というような失敗を招くことが多い。そのような間違いに気づいて、すぐにそれを認めることができれば、お互いの意思疎通もうまくいくのかもしれない。しかし、「自分が気づかなかった間違いだから、相手も気づいていないだろう」という思うような人ばかりではないにせよ、いちいち誤ちを認めるようなことはなかなか難しいようだ。


相手の言葉に向き合うこと

ところが…

数学者というのは、普段の会話でも、生真面目に相手の言葉に向き合おうとする。つまり、いちいち、「要するに、こういうことだよな」と自分に言い聞かせるように、自分の言葉で相手の言葉を置き換えようとする(まあ、ほとんどの場合、そういう数学者の執拗なまでに生真面目な態度に閉口してしまう人も多いだろうけど)。

もちろん、ここでいう数学者が、数学をやる人すべてに当てはまる訳ではないし、数学者であればこうだ、という訳でもない。

でも、

> いちいち、「要するに、こういうことだよな」と自分に言い聞かせるように、自分の言葉で相手の言葉を置き換えようとする…

ことは、数学者に限らず、すべての人が言葉を使う時に大切なことだ。

「もうわかってるでしょ」

と自分の理解を相手に分かっておいて欲しい気持ちが、ついつい前に出てしまうことがある。それはそれで分からない訳ではないのだけど、たいていの言葉は解釈の違いがおきやすいのだ。


数式という言葉

数学者たちは、誰かが書き綴った数式をみて、書き綴った本人でさえ気づかなかったことに気づいたり、一目見ただけで、その背景にある考え方まで理解してしまったりすることがあるらしい。

数学を勉強した人であれば、誰かが数式を書いているのを見て、「恐ろしい」と思うか、「あ、こんなことをやっているんだ」と思うか、いろいろだろう。数式という言葉に向きあって、その難解さに苦しんだ人も、要点をとらえて楽しさを感じた人も、数式の解釈には、状況に応じて異なるようなことがないことを知っている。だからこそ、そこに辿り着けないときに苦しみ、楽しみを知っていればこそ自分も答えをだしたいという欲求にかられる。

いずれの立場も、数式を書いた人と同じ答えを共有したいという出発点は同じはずだ。

僕たちが普段つかっている言葉は、数式のように、それを読む者を同じところに導いてくれているだろうか。