2015年9月2日水曜日

接続する人たち

接続する人たちの距離
ネットワークは、接続する全ての人たちの距離を限りなく近づける。
それは人が存在する場所を〈物理的に近づける〉という意味ではない。コミュニケーション(情報共有)を通して、〈精神的に近づける〉ことを意味する。
一方で、人には、それぞれに置かれている文脈や経緯、人間関係というものがある。いくら、ネットワークに接続しても、そういうものは近づきようがない。

共有化することの意味
ネットワークに接続する全ての人たちにとって、ネットワーク上において〈共有する・しないを明確に判断すること〉が、とても重要な意味を持つ。
ネットワーク環境にない人間関係(たとえば、従来の物理的な世界)では、秘匿される情報や主張される権利を共有化することは、ずっと避けられてきた。ネットワーク環境にある人間関係(例えば、知域のような精神的な世界)では、あらゆる情報やあらゆる権利を共有化することが追い求められてきた。
過渡的なことではあるけれど、情報技術リテラシーというものがある為に、つまり、ネットワーク環境に精通していることへの多少が人によって異なるために、ネットワーク環境にある情報が共有化されている人たちとそうでない人たちに分かれる状況が起きる。この共有化の有無によって、様々な問題が起きる。

ネットワークに繋がること
僕たちは、ネットワーク環境に繋がることで、何がしたいのだろう?
ネットワーク環境において既に共有されているモノを、ネットワーク環境に不慣れな人たちの前に示しても、そのモノが珍しく思われるのは、精神的に距離を感じている時点に限られる。誰もが、その在りかに気づいてしまえば、それは精神的には、遠い近いのような距離感ではなく、既知か、無知かということになる。

共有化することに凄まじい力を集中させてきたネットワーク環境が、ネットワーク環境に接続してこなかった人たちに、ネットワーク環境がある世界の現実を見せている。

そういう今に、僕たちが在る。

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