七つの大罪は、4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコスの著作に八つの「枢要罪」として現れたのが起源である。八つの枢要罪は厳しさの順序によると「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」である。6世紀後半には、グレゴリウス1世により、八つから現在の七つに改正され、順序も現在の順序に仕上げられた。「虚飾」は「傲慢」に含まれ、「怠惰」と「憂鬱」は一つの大罪となり、「嫉妬」が追加された。傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲…これらは、「7つの大罪」と呼ばれる。
宗教において、こうした「罪」の意識づけが行われることは、社会的な秩序を維持する上で重要であったと思う。時代の権力者は、こうした宗教的な規範を利用して、民衆の自律的な生活を期することができ、それによって安定的な統治が行えると考えていたのではないだろうか。「ダイモンのごときもの」で指摘した「西洋社会の伝統的な価値観」とは正にこうした価値観そのものであり、人がさまざまな行動を行おうとするとき、その人の意識にブレーキをかける役割を果たしてきたのではないだろうか。
勿論、この「7つの大罪」以外にも、多くの価値観が存在する。罪だけではなく、「美徳」のようなものを認めて、それを礼賛することも社会全体にとって重要な価値観になるだろう。いずれにせよ、こうした価値観は、刹那的な情動や感情、単純な思考から来る行動を抑制したりする上で、とても重要な役割を果たしていると思う。
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