2011年12月11日日曜日

蓋然性の他者

蓋然性の他者

僕たちは、この世界が多くの人びとによって作られてきたと知っている。そうした人々というのは、自分の周りにいるあの人、この人といった特定の人だけではなく、僕たちはその存在について何も知らない、そのうえ、正確に数え上げることさえできないほど無数である。しかし、間違いなく、彼らは存在するはずである。僕は、こうした「存在するはず」と仮定することのできる他者の「蓋然性」に着目したいと思っている。

ソーシャル・ネットワーク上には、自分の持ち合わせない知識や技術を持った人がいるはずで、そうした「蓋然性の他者」が、自分の経験を補完してくれることを僕たちは、経験的に知っている。

僕たちは、これまでも、この「蓋然性の他者」が作り出した世界に住んでいる。しかし、こうした「蓋然性の他者」の存在を確認することはできず、本や制作物を通して、その本に書かれた記述から想像していたに過ぎない。勿論、本も制作物も、誰かが作り、誰かがそれを自分の眼の前に運んだからこそ、それらは、僕の眼の前にある。

インターネットによって、そうした「蓋然性の他者」が突然僕たちの眼の前に現われる可能性を持ち始めたと思う。すくなくとも、ソーシャル・ネットワークと呼ばれる世界には、このような出会いの可能性で満たされているのだ。

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